プロフィール

葉哲泰    (Ye Zhetai)
葉哲泰    (Ye Zhetai)

お世話になります。葉 哲泰(Ye Zhetai )です。

 初めてwordpressをダウンロードして、conoha wingにアクセスして夢中で会員登録をしてみました。

すると、ドメイン名を求められたのですが何にも考えていなかったのでちょっと困りました。

夜、会社でその時誰もおらず、直属の上司との折り合いが良くなく精神状態がちょっと逝っちゃってました。

ヒトデブログさんを見ながらサーバーの登録をしていたので、その頃思い切りヒトデさんの今日は社畜祭りだぞに影響されてました。
 深く考えずドメイン名をshatikuにしたら、先客がいたようで登録できなかったので単細胞でworkを付けました。(笑)

 その後、記事が増えていきSEOのこととか多少分かってくると…..この名前失敗じゃん!(汗)

でも、1日12時間拘束・週休1日で(もちろん残業代はないまやかしの固定残業代しか無し)
働きながら、サイトを運営するという手段を開拓したのでもはやただのshatikuではない。
と思う。

Ye Zhetai の人生観は如何にして構築されたか?

中学3年生の時でした。

2月18日が公立高校の受験日で、2月1日に大病(あまり人に言いたくない。匿名でも(汗))を患い2週間寝たきりになりました。

 それがきっかけで運命を呪うようになりました。

いやそんな暗黒な性格ではないのですが、なんとなく「計画的に未来を考えても突発的に何が起こるかわからないから無駄だよなー。」という思考回路になってしまいました。

織田信長“本能寺の変”で追手に囲まれたときに詠んだ歌(ドラマで見たのだが・・)

「人生わずか50年・・下天のうちに♧れば・・・」という死生観に取り憑かれ、若い頃は「人生50年計画」なんて勝手に考えていたのですが・・・・・・あれっ、気づけば55歳になりました(泣)

Ye Zhetai は何のために生きていたのか?

人生はタバコ×××だと考えていました。

長生きするつもりではなかったのでタバコガンガン吸っていました。

タバコ大好きでした。一生懸命働いて、美味しい一服をするために頑張って働いてました。

生きているからタバコを吸うのかタバコを吸うために生きているのか、ニワトリが先か卵が先か論争みたいな感じになってましたねー。

そんな私がなんと!まさか! 禁煙に成功しました。

最近は咳き込むのが酷かったり、血行が悪くて肩がゴリゴリだったりで大変で、相対的に免疫が下がってるのを感じてましたねー。

2019年からコロナ禍になりそれを逆手に取りました。

とにかく、咳き込んでいると白い目で疑いの目で見られるご時世だったので、

咳き込むのを止めないと白い目で見られる➡タバコを止めなければならん!

という思考が禁煙への強いアシストとなりました。

\↓↓この件に関して詳しくはこちらを↓↓/

Ye Zhetai は×××には全くモテませんでした。

モテませんでした。バブル時代に流行った三高のうち、二高を備えていたにもカカワラズ!。

(高身長180㎝オーバー↑と高学歴。まぁMARCHクラスですが。)

なのにモテない。やはり何事に対してもやる気のない感じが見透かされていたんでしょうねー。

授かり婚(便利な言葉が開発されました)ということで今の細君(夏目漱石風)と結婚出来て、お陰様で両親ふたりよりあらゆる面で能力の高いお子ふたりに恵まれました。

Ye Zhetai は大学受験だけは頑張った!

義務教育の頃から、国語の教科書の作家の略歴を読むのが好きでした。

谷崎純一郎太宰治村上龍も有名大学を中退しているではないか!

芸能人でもたけし(明治中退)やタモリ(早稲田中退)みたいな知的お笑いタレントは有名大学を中退しているではないか!

かっこいい!

だから自分も精一杯持てる能力のめいっぱいMAXの偏差値の大学に受かるよう努力したのです。

××大学出身というのが一生付いてきたのでこれは得したかな。

大学は5年間行きましたが、結局普通に卒業➡就職した凡人です。

Ye Zhetai は心密かに小説家になりたいと思ってました。

東京の中産階級の家庭で育ったはずなのですが、父親が厳格だったからなのかファミコンとか遊びものはぜんぜん買ってもらえませんでした。

でも、「本を買うから金をくれ」といえば母は1000円くらいはくれたので単行本とか買ってよく読みました。

 実家の自分のベッド収納には300冊くらい本が入っています。

これが作家の路への扉になっているかといえば、いえ、ぜんぜん。恐ろしく記憶の定着が弱い脳の構造のようで、読んだ端から内容を覚えていません・・・。

55歳の今まで1ページくらいしか小説書いたことがないので・・・たぶん無理ですね。

ただ、夢として一生大切に取って置くのは自分の勝手だから良いですよね。

こういう自称小説家志望でまともに1作も書いた事の無いロマンチストは実は多いのではないかな・・・)

自分は小説家になるかもしれないというのは、何かかっこいいもん。

一応、ゴリゴリの文系なので、就活でマスコミを受けてみたり、こうやってブログの書いてみたりすることにはつながっているようです。

就活はマスコミとアパレルを志望した。

大学時代に2回ハワイに行き(これが最初で最後の海外旅行(泣き))ここに住み着きたいと思いました。朝起きてサーフィンして(サーフィン出来ませんが)適当に食っていける仕事をして毎日気ままに過ごそうと。

逆に言えば実際はそんな勇気や行動力もなかったのですね。

4年になったらそそくさとスーツ着て就活してました。マスコミに憧れて、A新聞社とK出版社とNスポーツ新聞社を受けましたが1次試験で全部敗退。ところが、Hスポーツ新聞社が奇跡的に最終面接まで行きました。これ自慢話にしてます。(負け犬の遠吠え)

翌年、(大学5年)またマスコミ受けるも全落オープンだったので、気持ちを切り替えて第2志望のアパレル受けました。

私の退社後ですが、あの村上ファンドの買収劇で有名になった某アパレルに潜り込めました。洋服は好きでした。女性もいっぱいいる職場でした。でもやっぱり。びっくりするほどモテませんでした。

地方に移り住み居酒屋の店長となる

結婚を機に、細君の住まいのある某地方に移り住み地域の飲食のチェーン店に勤めました。

ぶっきらぼうぶきっちょな自分が嫌いで、笑顔と手先の器用さが必要な居酒屋の店長を20年くらいやりました。

向いてないことなので飽きずにできたようです。昔は畑をみてキャベツレタスの区別も付かないと細君に馬鹿にされていたものですが・・・。

会社の労働観ですが、楽しい仕事をしているのだから休みが少なくたって長時間労働だってしょうがないよね。現場にいた当時はご飯食べる15分以外は基本的に12時間くらい立ちっぱなしでした。立ち仕事ですもん。しかも客商売ですもん。お客様に呼ばれるがまま右に左に、そこで自分の都合を優先して動くような人は良いサービスマンにはなれませんよね。好きを仕事にしているのだからしょうがないよね。

Ye Zhetai は出世して経営者サイドのテイとなりリアルにshatikuとなる

出世して伏魔殿と呼ばれる本社に入ることとなりボコボコにやられました。

パワハラなんて当たり前ですよ!同族経営2代目社長直下で働きましたからね。

天は人の上に人を造らず”、“すべて国民は、法の下に平等であって(日本国憲法第14条)・・・”なんて思っているのはこちら側だけです。

先方(同族経営者)は“王様と召使い若しくは王様と奴隷”という感性の持ち主ですからね。

相容れるわけありませんよ。

ここで、ちまちま体験談は書きません。 わたしめちゃめちゃ我慢強いんです。

そして、忘れっぽいんです。凄く根に持つ様な嫌な体験も2週間くらいたてば薄めていける性格ですね。

日本の企業のほとんどは、高度成長期とバブル崩壊の成功体験だけでやってきたので、平成令和でモー限界ですね。

過去の成功体験から変わろうとしない。変化は怖いから過去に気づき上げた財産(営業資産)を守銭奴のように守り抜き細々と生きながらえる経営をしているだけ。

ちの会社だけではありません。日本の会社はほとんどがそんなものでしょう。

でも批判していても何も始まりません!

そんな時間があれば、自ら学び、書き、経済的自由を得て、奴隷から解放される日を夢を見たいじゃないですか。(55歳の今まで何も出来てませんが(泣))

大学受験を控えた娘がいる今は何も言えません!時給計算すると最低賃金法に引っ掛かりそうな金額ですが毎月固定のサラリーを頂けてありがたし。感謝感激あめあられです。

そんな私と同じようにshatikuから脱皮しFIREをコンプリートさせることを夢見る日本の中高年と、
共に歩みお役に立ちたいサイトです。

タイトルとURLをコピーしました